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    かけはし2021年3月29日号

同性婚の否認は違憲


3.17

札幌地裁が画期的判決

連帯し社会を変える行動へ

自由と平等へ一歩前進


 3月17日、同性カップル3組による同性婚の自由の保障を国に訴えた訴訟に対し、札幌地裁が同性婚の否認は違憲であると判断した。原告は「婚姻で生じる法的効果の一部すら受けられないのは差別だ」と訴えた。
 当日この判決を各メディアが速報を出し、17日夕刊に掲載され多くの人々に画期的な判決が届いた。また、翌日3月18日の朝刊は、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、しんぶん赤旗の各紙1面を同判決に関する記事が占め、より掘り下げた報道がなされた。
 同様に注目すべきは、様々な媒体のメディアと並行しSNSで多くの人々が個人の立場から見解を発信し注目と関心が高いことがはっきりした事である。判決を肯定的に受け止める意見も多く、ジェンダー差別を問題と受け止め社会へ訴える人々の意識や決意もまた判決の支えとなったと言えるだろう。
 家父長制や家制度など因習に縛られる現状や、婚姻を男女の両者の間で行うものとする考えが根深く個人の人格と権利に否定的な現状に対し、疑問をなげかける人民一人ひとりの声があった。だからこそ判決が判例に則り制約されやすい司法が一歩人々の側に歩み寄ることが出来たのだ。一人一人の個人のために自由と平等を希求する意志が確実に社会に拡がっているのである。

 判決の要旨は、次の通り。
「かつて同性愛は精神疾病とされていたが、自らの意思に基づいて選択・変更できないことは確立した知見だ」。
「明治期において、同性愛は、精神疾患であって治療すべきもの、絶対に禁止すべきものとされていた。また、明治民法における婚姻とは、終生の共同生活を目的とする、男女の、道徳上及び風俗上の要求に合致した結合関係であるなどとされたが、同性婚が認められないことは当然であるとされた」。
「戦後から昭和55年頃までの間においても、同性愛は、精神疾患であって治療すべきものとされ、教育領域においても、健全な社会道徳に反し、性の秩序を乱す行為となり得るものとされた。昭和22年には現行民法に改正されたが、婚姻とは、社会通念による夫婦関係を築く男女の精神的・肉体的結合であるなどと解され、同性婚は当然に認められないものとされた」。
「昭和48年以降、米国精神医学会や世界保健機関が、相次いで同性愛は精神疾患ではないことを明らかにし、我が国においても、昭和56年頃から同様の医学的知見が広がり始めた」。
「諸外国において、同性婚又は登録パートナーシップ制度を導入する国が増え、同性婚を認めない法制度が憲法に違反するとの司法判断が示される国もあった。我が国においても、平成27年以降、登録パートナーシップ制度を導入する地方公共団体が増加している」。
「いわゆる婚姻をするについての自由は、憲法24条1項の規定の趣旨に照らし、十分尊重に値するものと解することができる」。
「同性愛は精神疾患ではなく、自らの意思に基づいて選択・変更できないことは、現在は確立した知見になっている。圧倒的多数派である異性愛者の理解又は許容がなければ、同性愛者のカップルは、重要な法的利益である婚姻によって生じる法的効果を享受する利益の一部であってもこれを受け得ないとするのは、同性愛者の保護が、異性愛者と比してあまりにも欠けるといわざるを得ない」。

 判決は社会に根深い差別に言及をしながら、同性愛の当事者の人々が権利を制約されている状況は不当であると判断した。国による賠償は棄却されるなど原告側の立場に十分に応えられていなかった事実もあり、当事者の人々が疲弊しないように支え合いつつ運動も連帯していける陣形作りが望まれる状態だ。
国が同性婚を認める立法をおこたったとする原告の主張は退けられ、不完全なものであったのは否めない。今後も社会で声を上げる人々と広範に連帯していく必要がある。

同性愛者への連帯こめて

 社会運動において左翼は同性愛者の権利と平等を求める声に現在に至るまで、常に応えようとしてきただろうか。残念だがそうではなかった。
過去において左翼の立場から社会運動が世界各地で闘われてきたが、その中で女性が虐げられ、立場や権利が蔑ろにされてきたように、同性愛などの立場の人々も権利を軽視され、被害にあい、運動に失望し去っていった人々がいたことを思い起こす必要がある。虐げられる人々の立場への理解に努め、当事者の人々と連帯し社会を変革する姿勢が求められている。理論や議論も、当事者の人々の切実な思いがあるからこそ、個人がいるからこそはじめて存在しうるものである。
当事者の訴えが尊重され、様々な葛藤と向き合い議論し問題を克服していくのが社会運動だと今回の判決を経て改めて突きつけられたように思う。

人民の闘いに学ぼう

 歴史を振り返ると1917年のロシア革命では、戦争や貧困、飢餓に虐げられた人々が現状を変えねばならないという意思と確信が、人々を革命という大きな変革へと駆り立てた。各地へ拡がった変革へのうねりも国際女性デーの闘争を闘った女性一人一人の行動があったことを忘れてはならない。社会的・構造的に差別されていた女性を取り巻く状況は、権利を制約されてきたあらゆる人々、今日の同性愛の権利を希求することにもまた重なるところがある。
そして、ロシア革命当時の左翼党派や社会運動も、当事者が闘い劇的に変革する情勢を追いかけ、中でも連帯を深めた人々が革命のさらなる前進に加わることが出来たことが思い出される。
時代背景や当事者の人々、事情は異なるかもしれないが現状の理不尽に疑問を抱き、社会を変えることで自分自身や他者の境遇や未来をより良いものにしようとする人々は今この瞬間もいるのだ。この瞬間も根深く影を落とすジェンダー差別の廃絶と権利向上へ向けた模索と試みを続け、当事者の人々と連帯せねばならないと今回の事例は突きつける。差別を受ける当事者の人々、共感し支える人々の意思と社会がもたらすダイナミズムに、社会運動に参画する人々に謙虚になる必要を自戒を込めて痛感する。
今回の判決は通過点であり、始まりに過ぎない。課題はあまりにも多い。現代の社会は自由主義や民主主義が重んじられるべき価値観として多くの人々により受容されてはいるが、同時に性別を前面に出し性別分業を構造化して発展してきた資本主義のシステムにも批判を向けていく必要がある。
一人一人の個人が本来持ちうる価値観の多様性、可能性を資本の論理に従属させている社会構造を批判せねばならない。現在進行している闘いは、性別による分業を人民に強いてきた社会を変革する契機になっていくだろう。人間による人間の搾取の廃絶を求めた社会主義・共産主義の社会の展望は闘争の蓄積により豊かに人民の願いにかなったものとなる。
声を上げ、議論し、権利を求め、社会を変え続けていく必要がある。今こそ連帯を。闘う当事者の人々への敬意をもって連帯していきたい。
(T・S)




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